有志の方から寄稿文が届きましたので、ご紹介します。
現在、日本や韓国で起こっている出来事は、決して宗教弾圧などではありません。
UCが、神様のみ旨に背いた結果、起こっている審判に他なりません。
しかし、今もなお、UCの食口は、「UCは、決して滅びない」という慢心を抱いているように見えます。
それは、とても危険な状況である事が、聖書の歴史を振り返ると見えてきます。
ぜひ、一読いただき、「今こそ謙虚に悔い改めるべき時」である事を理解していただけると幸いです。
今回は、おそらくUCの祝福家庭が全体的に抱いているであろう「UCは、決して滅びない」という慢心に対して、旧約聖書のエレミヤ書から学ぶべき教訓を紹介したいと思います。
今、客観的にUCの祝福家庭を見つめる時に思う印象としては、「UCは、決して滅びない」という根拠のない自信に満ちているように感じます。まるで、その姿は、バビロン捕囚前のイスラエル民族の姿に重なって見えます。
おそらく、UCの指導部が、根拠のない希望的メッセージを伝えて、食口達を安心させているのだと思います。
4月の入宮式前には、「入宮式が終われば全ての問題が解決する」と言っていたように・・
しかし、聖書の歴史を振り返ると、それは非常に危険な状況である事が分かります。
預言者エレミヤは、バビロン捕囚期の前に神様に召された預言者です。
当時の南王国ユダは、偶像礼拝・社会的不正・道徳的腐敗に陥っていました。そこで、神様は、エレミヤを通してバビロンによる裁き(エルサレムの滅亡と捕囚)が近いことを警告しました。しかし、多くの指導者や偽預言者たちは「そんなことは起こらない」「主の都エルサレムは滅びない」と楽観的なメッセージを語っていました。
以下は、エレミヤ書の「神殿の説教」の1節です。
エレミヤ書7章4節
4 あなたがたは、『これは主の神殿だ、主の神殿だ、主の神殿だ』という偽りの言葉を頼みとしてはならない。
エレミヤ書の7章は、「神殿の説教」と呼ばれ、人々が神殿の存在を過信して、悔い改めを拒否し続ける状況に対する神様の宣告が語られます。
当時の人々は偶像礼拝や社会的不正を行いながらも、「神殿がある限り、エルサレムは滅びない」という根拠のない自信に満ちていました。
そこで、神様は、エレミヤにエルサレム神殿の門の前に立ち、ユダの民に向かって上の聖句を語らせました。
さらに、エルサレムの滅亡をも予告させました。
エレミヤ書7章14~15節
14 それゆえわたしはシロに対して行ったように、わたしの名をもって、となえられるこの家にも行う。すなわちあなたがたが頼みとする所、わたしがあなたがたと、あなたがたの先祖に与えたこの所に行う。
15 そしてわたしは、あなたがたのすべての兄弟、すなわちエフライムのすべての子孫を捨てたように、わたしの前からあなたがたをも捨てる。
「シロに対して行ったように」の意味を解説しますと、シロは古代イスラエルの礼拝の中心地で、契約の箱が置かれていた場所です。しかし、北王国イスラエルが神のみ旨に背いた為、ペリシテ人との戦いで契約の箱が奪われシロは荒廃しました。すなわち、これは「かつてシロが神の裁きで廃墟となったように、神殿があっても神のみ旨に背けば裁かれる」という歴史的事実を引き合いに出して警告している訳です。もちろん、「この家」と「この所」とは、エルサレムの事です。
また、「エフライムのすべての子孫」とは北王国イスラエルのことです。北王国は、アッシリアによって滅ぼされ、捕囚にされました。神様は「悔い改めないなら、北王国と同じように南王国ユダをも捨てる」と宣告している訳です。
これらの宣告は、神殿の存在そのものが「無条件の安全保障」ではないことを強調しています。神様は罪に対して正義を執り行われ、「悔い改めなければ必ず裁きが来る」ことをエレミヤを通して警告されました。
それでも、当時の人々は、悔い改めませんでした。それどころか、耳障りの良い偽預言者の言葉に耳を傾けました。
エレミヤ書23章16節には以下のようにあります。
エレミヤ書23章16節
16 万軍の主はこう言われる、「あなたがたに預言する預言者の言葉を聞いてはならない。彼らはあなたがたに、むなしい望みをいだかせ、主の口から出たのでない、自分の心の黙示を語るのである。
「あなたがたに預言する預言者の言葉を聞いてはならない。」とは、偽預言者の言葉を聞いてはいけないという警告です。偽預言者は、根拠のない「空しい望み(偽りの希望)」を与えるだけであり、彼らの言葉は、自身の願望・思い込み・妄想から出ます。決して、神様の言葉を語っている訳ではないという事です。
また、エレミヤ書23章17節には以下のようにあります。
エレミヤ書23章17節
17 彼らは主の言葉を軽んじる者に向かって絶えず、『あなたがたは平安を得る』と言い、また自分の強情な心にしたがって歩むすべての人に向かって、『あなたがたに災はこない』と言う」。
偽預言者は、『あなたがたは平安を得る』などの耳障りが良く、民が望む言葉を言い、『あなたがたに災はこない』と言って、神の裁きを否定しました。
南王国ユダの人々は、このような「自分達にとって都合の良い」偽預言者の言葉を信じて、悔い改めを迫るエレミヤの言葉には、耳を傾けませんでした。
その結果、神様が予告したように、バビロンによってエルサレムは陥落し、人々は、バビロンに捕囚されて行きました。
このエルサレム滅亡の後に、エレミヤが書いたのが、エルサレム滅亡の悲しみと神への嘆きを歌った「哀歌」です。
この教訓から私達は、何を学ぶべきでしょうか?
エレミヤが神殿の前で警告したように、私達もUCの祝福家庭に多くのメッセージを語ってきました。
しかし、そのメッセージは、悔い改めを迫るものであり、決して耳障りの良いものではないので、ほとんどの祝福家庭は、耳を塞ぎました。
逆に、UCの指導部が語る「お母様と一つになれば、必ず勝利できる」や「入宮式が終われば全ての問題が解決する」などの自分達に都合の良いメッセージを信じました。
その結果、どうなったかは、言わずもがなでしょう。
常にUCの指導部は、食口達に根拠のない「空しい望み(偽りの希望)」を抱かせ、「私達は天に守られているから安心だ」という「自身の願望」を語り、「偽りの安心感」を与えてきました。
そして、食口達に「UCは、決して滅びない」という慢心を抱かせ、悔い改めから遠ざけました。
私達は、今こそ聖書の教訓から学ぶべきです。
「神が選び出した選民であっても、神のみ旨に背くなら、神は一切の妥協なく裁かれる 」という教訓です。
謙虚になって、本当に神様が望んでいる事に耳を傾け、素直に悔い改めるべき時 だと思います。
「偽りの希望」や「偽りの安心感」に浸っていては、神様からの警告も耳には入ってきません。
今こそ、私達のメッセージに耳を傾けてもらえる事を望みます。
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