韓国の主要ニュースメディア「アジアトゥデイ」が、現在大きな混乱に包まれている統一教(世界平和統一家庭連合)について、内部関係者を招いて特別インタビューを行いました。番組では、文顯進会長の陣営を代表する人物として、家庭平和協会の金慶孝(キム・ギョンホ)会長と趙仁範(チョ・インボム)副会長が出演しました。今回は、その第2部の内容を要約してお伝えします。
文鮮明総裁逝去後の分裂と「後継者論争」の真相
■ 分裂の経緯 ― 三つの勢力へ
文鮮明総裁の逝去後、統一教会(現・世界平和統一家庭連合)は三つのグループに分裂した。当初は文顯進氏に反発する教権指導部を中心にした連合勢力が形成され、これが後に分裂の火種となった。
この教権勢力は当初、韓鶴子(ハン・ハクジャ)総裁を支持しながらも、背後では強い影響力を持つ側近たちが主導していた。その中心人物には、文総裁の秘書室長を40年近く務めた金孝律(キム・ヒョユル)氏、韓総裁の母親と霊的に交信すると称した金孝南(キム・ヒョナム)氏、さらに韓総裁の現在の秘書室長鄭元周(チョン・ウォンジュ)氏などがいた。
彼らは韓鶴子氏に「文総裁とあなたは同等の存在であり、今後の運動はあなたが主導すべき」と吹き込み、いわば「霊的ガスライティング」を行った。その結果、韓鶴子氏は次第に「自らが文総裁の真の継承者である」との意識を強めていった。
■ 「王子の乱」ではなく「宦官の乱」
内部対立が激化する中、韓鶴子氏の側近たちは他の息子たち(文亨進・文國進・文仁進氏ら)を取り込み、「顯進氏ではなく、あなたたちこそ後継者だ」と説得した。こうして兄弟間の関係はさらに悪化し、あるメディアはこの権力争いを「王子の乱ではなく、宦官の乱だ」と評した。
最終的に、文總裁逝去後に韓鶴子氏が教団を完全掌握すると、文亨進・文國進兄弟は離脱し、「サンクチュアリ教会」を設立。
その結果、統一運動は
1️⃣ 韓鶴子氏側(家庭連合)
2️⃣ 文顯進氏側(家庭平和協会)
3️⃣ 文亨進氏側(サンクチュアリ教会)
の三派に分裂した。
■ 文顯進氏への攻撃と沈黙
分裂後、教権側と兄弟たちは、文顯進氏を徹底的に攻撃。文國進氏はメディアを通じて「後継者はすでに交代した」と主張し、さらには「兄はサタンだ」と発言した。しかし文顯進氏は一切反論せず、次のように語ったという。
「長子とは、家族すべてを守り責任を負う立場である。」
彼は父の遺志を継ぐことだけに専念し、人格攻撃にも沈黙で応じた。この姿勢が、一部では「成熟した対応」と評価されている。
■ 「後継者書簡」捏造疑惑と衝撃的事件
2010年6月、文総裁の寝室で、ある「署名文書」が作成された。これは「文総裁が七男・文亨進氏を後継者に指名した」という内容で、のちに動画として公開された。
しかし後に判明したのは、この署名が強要されたものだったという事実。当時、韓鶴子氏と側近たちは、病床の文総裁に対して何度も「書いてください」と迫り、文総裁がしぶしぶ「あなたが書け」と応じる場面まであったと証言されている。一年後、この件の内部証言により、背後にいたのはキム・ヒョユル秘書室長と、南米統一運動を統括していたシン・ドンモ氏であることが判明。二人は内部メールで「このビデオは効果があったか?」と確認し合い、さらに「次の機会には“文顯進”という名前を必ず入れよう」という発言まで残していたという。
■ 署名文書の意味と真相
問題の文書には「代身者・相続者」という言葉が使われていたが、文総裁は普段から信徒たちに対し「あなたがたも代身者・相続者になりなさい」と語っていた。したがって、この表現が後継者指定を意味するとは限らない。さらに、文総裁は寝室を出た後、この件について一度も口外しなかった。
■ もし本当に後継者を変更するなら
1998年、文総裁は公の場で何年も準備を重ねた上で文顯進氏を後継者に指名していた。その慎重な性格を考えれば、もし本当に変更する意思があったなら、再び正式な場で発表したはず。寝室で撮影され、公開された映像を「後継者変更の証拠」とするのは不自然であり、操作された出来事である可能性が高いと関係者は語る。
■ 法廷で明らかになった証言
後に文亨進氏は「自分こそ正統な後継者」と主張し、アメリカで統一教会を相手取り訴訟を起こした。この裁判で韓鶴子氏が証言台に立ち、「七男が自分に頼み込んで署名をもらった」と証言。この発言が、事件が強要されたものであったことを裏付ける決定的な証拠となった。
■ 韓鶴子氏の証言とその波紋
文亨進氏が後継者と見なされていた時期の後、韓鶴子総裁が米国の法廷で証言する機会があった。その証言が後に公開され、韓氏は「文亨進は親から正式に後継者に任命されたことは一度もない」「中学生レベルにも達しない」と発言したとされる。この発言は多くの信者を驚かせ、内部での対立の火種となった。
■ 文顯進氏のリーダーシップと影響力
文顯進氏は若い頃から世界各地を回り、教団のメンバー(「食口」と呼ばれる)や青年たちに対し、「父の理想を現代にどう実現するか」という希望とビジョンを語っていた。そのスピーチは情熱的でカリスマ性に満ち、聴衆と直接対話するスタイルで多くの人々を感動させた。特に若者や社会指導者たちは「彼こそ運動の未来」と確信しており、父・文鮮明総裁も彼を誇りに思い、より大きな責任を委ねていたという。
■ 「反逆者フレーム」の形成
しかし、文顯進氏の人気と信頼が高まるにつれて、内部では「後継争い」を懸念する勢力が台頭した。彼を教団から切り離すために取られた最も効果的な戦略は、「文顯進は父を裏切った」「メシアとしての父を信じていない」「自分の道を行こうとしている」という “反逆者”のイメージ操作 であった。
これにより、文顯進氏は孤立していく。実際には、彼は常に父の偉業と使命を称え、「後継」という言葉すら口にせず、「神と父の理想を継ぐ」ことを語っていたにもかかわらず、指導層の働きかけによって「父子の不和」が作られていった。
■ 公開的な攻撃の始まり
2010年、文鮮明総裁の90歳誕生日を祝う席で、側近のキム・ヒョユル氏らが全世界の指導者を集め、「文顯進は父を失敗者と呼び、自分を“真の父母”になろうとしている」と公然と非難した。これは実質的に“内部戦争”の宣言であり、以降、文顯進氏に対する誹謗キャンペーンやメディア報道が相次いだ。
■ 「母を訴えた息子」報道の真実
その後、「文顯進氏が母(韓鶴子総裁)を訴えた」というニュースが主要紙を飾り、世論を大きく動かした。しかし、実際には文顯進氏が管理していた世界財団の資金が、別の教団系財団(後の「孝情グローバル財団」)へ不正に移されたため、法的責任者として資金の返還を求めた にすぎなかった。この事務的な通知書が、意図的に「母を告訴した」という“親不孝の象徴”として報じられたのだ。
■ 「真の父母宣言文」の捏造疑惑
この対立を正当化するため、内部では「文鮮明総裁が法的行動を許可した」という根拠づくりが必要になった。そこで作られたのが、「真の父母宣言文」と呼ばれる文書である。そこには「文顯進は真の父母を否定した」「彼の行動をやめさせよ」といった内容が記されていたが、署名部分がコピーのように見えるなど、信憑性に疑問があるとされる。
■ 裁判の結末
最終的に、米国などで複数の裁判が行われたが、いずれも文顯進氏が勝訴した。しかし、彼自身にとって「勝ち負け」は問題ではなく、父の理想と神の目的を守るという信念の継続こそが重要だった。一方で、メディアや一部パネルが真相を調べず誤った情報を拡散したため、混乱が続いた。
■ 教団による長期訴訟と事実関係
文顯進会長に対して、統一教会(現・家庭連合)は10年以上にわたって約30件もの訴訟を起こしてきた。韓国だけでなく、アメリカ、南米など各地で同様の法的攻撃が行われ、人々の間では「母子・兄弟間の争い」として誤解されることも多かった。しかし実際には、文顯進氏の側から家族や教会を相手に訴訟を起こしたことは一度もない。すべての訴訟は教団側が先に仕掛けたものであり、顯進氏は一貫して防御的立場を取ってきた。
■ 「汚名」の背景にある重要プロジェクト ― ヨイド開発
問題の一つは、ソウル・汝矣島(ヨイド)にあった旧教会駐車場の再開発事業、後の「パークワン(Parc1)プロジェクト」だった。この土地はもともと文鮮明総裁が特別に思い入れを持っていた場所で、世界平和と南北統一の拠点となる「世界本部」を建設するというのが生涯の夢であった。
当初は別の責任者が任されていたが、計画が難航し、2006年に文鮮明総裁が正式に「この事業は顯進が担当せよ」と命じた。以後、顯進氏は全くのゼロからプロジェクト・ファイナンスを組み立て、資金援助を受けないまま建設を成功に導いた。
しかし教団幹部たちは、顯進氏が事業を成功させれば内部での影響力が高まることを恐れ、契約署名の前日に突然訴訟を起こして工事を妨害。結果として、計画は約3年間遅延した。それでも最終的には顯進氏が勝訴し、建設を完遂した。
■ 「利益ではなく、父の夢の実現のために」
このプロジェクトは単なる商業開発ではなく、「南北統一と世界平和のための拠点」というビジョンに基づいていた。顯進氏は完成式でも、「これは統一教会のための建物ではなく、父が願った“世界のための空間”」だと語った。
また、建設費は全て外部の投資によるもので、教会からの支援は1円もなかった。それにもかかわらず、顯進氏は教会の地権者と公正な契約(99年間の地上権契約)を結び、賃料を支払いながらプロジェクトを進めた。
■ UCI(国際統一財団)訴訟と理念の相違
もう一つの主要な訴訟は、アメリカの「UCI」を巡るもの。顯進氏はこの財団を「宗派を超え、神の摂理と世界平和のために運営すべきもの」と考え、名称から「統一教」の看板を外した。対して教団側は「UCIは統一教会に帰属する財産であり、宗教目的に使うべきだ」と主張。両者の理念の違いが訴訟へと発展した。
■ 文鮮明総裁の真意と沈黙の理由
2011年、UCI訴訟が開始された直後、文鮮明総裁はドイツ巡回中に「顯進を傷つけてはならない。血を流させてはならない。真の問題は幹部のキム・ヒョユルとチュ・ドンムンにある」と強い口調で語ったという。この発言は内部では公表されず、教団はその後も訴訟を継続した。顯進氏は、父の名誉と家族の尊厳を守るため、沈黙を貫き、最低限の防御的対応にとどめた。積極的な反撃やメディア対応を控えたのは、父の遺徳を汚さぬためであった。
■ 「資産よりも使命を重んじた」後継者の姿勢
多くの人が「なぜ不当に奪われた資産を法的に取り戻そうとしないのか」と疑問を抱いたが、顯進氏は「重要なのは金ではなく、父の理念を継ぐビジョンとリーダーシップ」と語った。UCIを拠点に「神の下の一家族(One Family Under God)」の理想を世界的に広げる運動を展開し、今日まで「コリアンドリーム(Korean Dream)」運動として継続している。
■文鮮明総裁のビジョンと運動
「One Family Under God」運動は、信仰の背景に関係なく、良心的で正しい家庭の価値を回復し、神の祝福を受ける家庭を築くことを目指す運動だ。南米・北米などではキリスト教の指導者からも高く評価されている。ブラジルの指導者フェレイラ司教は、文顯進会長のビジョンを神のビジョンとして支持し、積極的に協力している。
■統一教会内部の問題と分裂
一部教団指導部が韓総裁を神格化し、文鮮明総裁の教えやビジョンを変質させている。教勢維持のために、非合法・便法的手段を使用した結果、信者数の減少、若い世代の離脱、元々文鮮明総裁のビジョンを理解して従っていた信者の喪失を招いた。
■信者数を巡る議論
文鮮明総裁が行った運動は、教団の規模や信者数だけで評価できるものではない。数十万~数百万に及ぶ支持者や関係者がいたが、教団内の数だけで価値を測るのは本質を歪める。
■日本における事件と社会的背景
安倍元首相銃撃事件は、犯人の母親が統一教会に関係していた財産問題を背景に事件が発生したと報道されている。日本では、高額献金問題、過剰なイベント・パフォーマンスなどで社会的批判や被害が累積しており、これが、日本政府が家庭連合の宗教法人解散を求めた背景にもつながる。
■視聴者の反応
この映像を視聴した人々は強い共感と改革の意志を示した。
「当時、文顯進会長のリーダーシップのもとで…真の主人意識とは何かを身をもって教えてくださった方が文顯進会長でした…」と文会長を支持した。
また、「非原理的な指導者たちの私欲の中で自浄能力を失った統一家の姿が本当に痛ましい。このような機会を通してでも、食口たちが真実を知り新しく生まれ変わることを願います」と、教権指導部の行動を批判し改革を求めた。さらに「まるで時代劇のような出来事が…組織暴力団以下の良心を失った指導者たちによって起きていたとは…こうして一つずつ真実が明らかになることで、誰が本当の裏切り者かが分かるようになり、本当に感謝します」といったコメントも寄せられ、真実究明への高い期待が表明された。
動画は、以下より視聴できます。
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