■神話の私有化とその危険性
神話とは一つの民族が共有する巨大な夢のようなものだ。単に古い昔話ではなく、私たちが何者であり何処から来たのかを教えてくれ、共同体の価値観とアイデンティティを内包する貴重な器である。しかし、もし誰かがこの貴重な神話を自らの主張を裏付ける為に勝手に変え歪曲するなら、どうなるだろうか。これはまるで他人の家の家宝を盗み出して自分のものだと主張するようなものであり、共同体の記憶に大きな混乱をもたらし、歴史との連結の輪を断ち切る危険な行為となりかねない。

最近、「独生女教団」とも呼ばれる天の父母様聖会(世界平和統一家庭連合)から刊行された『韓民族選民大叙事詩-独生女誕生の為に備えられた韓民族』(2024)は、正にこうした危険性を如実に示す事例である。この本は二つの極めて大胆かつ独特な主張を中心に韓民族の歴史を再解釈している。

第一に、檀君神話に代表される「天孫思想」、即ち韓民族が天の子孫であるという信仰が、実は20世紀にこの地に来臨する「独生女」韓鶴子総裁を迎える為の数千年にわたる巨大な準備過程であったという主張である。第二に、聖書に登場するノアの息子「セム」の子孫たちが人類最初の文明であるシュメール文明を築き、彼らが東方へ移動して東夷族と今日の韓民族の根源となったというものである。この二つの主張を通じて、韓民族に聖書における「選ばれた民族」の地位を与え、その全ての歴史の最終目的が正に「独生女」の出現であったということを証明しようとする意図が窺える。

しかし、こういった主張は果たして歴史的・学術的事実に合致するのだろうか。本稿では、古代史、神話学、文化人類学など様々な学問の観点から、これらの主張が学術的根拠が極めて希薄な「疑似歴史学(pseudo-history)」の一形態であることを、順を追って明らかにしていく。神話の本来の構造と象徴を深く考察することによって、天孫降臨神話が寧ろ「独生女」の降臨という主張を如何に反駁しているのかを検証する。また、言語学、考古学、遺伝学などの科学的証拠を通して「韓民族セム族起源説」が歴史的事実とどれほど異なるのかを明確に究明していく。この手順を通して神話を特定の教義の道具として利用しようとする試みの問題点を指摘し、厳密な証拠に基づいた歴史理解の重要性を共に考えてみたい。

■天孫降臨神話の構造と機能:天の息子と地の母
『韓民族選民大叙事詩』が「独生女」降臨の核心根拠として提示する檀君神話は孤立した物語ではなく、東アジア北方文化圏に広範囲に現れる「天孫降臨」という巨大な神話原型の一部である。韓国の檀君神話、朱蒙神話、日本の天皇家の祖先であるニニギ降臨神話などは、いずれも古代国家形成期に王権の神聖性と統治の正当性を確立する為の政治的叙事、即ち「憲章神話(charter myth)」として機能した。これらの神話は、表面的な物語の差異にも関わらず、驚くほど一貫したストーリーテリングの構造を共有している。その構造は明確な3段階の縦的系譜と横的結合によって構成される。

命令者(派遣者):最上位の存在である天神または太陽神が地上世界への降臨を命じる。檀君神話の桓因が正にこの役割を担う。
実行者(降臨者):天神または太陽神の息子あるいは孫息子が父神の命を受けて地上に降り立つ。檀君神話の桓雄は戦士ではなく、風伯・雨師・雲師といった農耕技術官僚を率いて「弘益人間」という文明化の使命を帯びて降臨する。これは明らかに男性格天神の降下である。
具現者(建国者):地上に降り立った天神または太陽神の息子は地上の女性と結ばれて子孫を産み、その子孫が新たな国家の始祖となる。桓雄は人間になりたいと願っていた熊部族の熊女と婚姻し檀君を産む。

この構造は「天の権威(縦的)が地上の力(横的)と結合して新たな秩序を創造する」という論理を内包している。天から来た神聖な男性(桓雄)が地の土着勢力を象徴する女性(熊女)を選択し結合することによって、初めて地上国家の始祖(檀君)が誕生するのだ。

この構造は「天の神聖な権威が地の土着勢力と結合して新たな国家秩序を創造する」という明確な政治的メッセージを内包している。東アジア諸国の建国神話をこの枠組みに照らして考察すると、その共通点と相違点がより鮮明になる。

建国神話
機能 古朝鮮
檀君神話 高句麗
朱蒙神話 伽耶
金首露神話 新羅
朴赫居世神話 日本
天孫降臨神話
命令者(派遣者) 桓因 天帝 天 天 タカミムスヒ–
アマテラス
実行者(降臨者) 桓雄
<熊女 へモス
<柳花 卵 卵 ニニギノミコト>
コノハナサクヤ姫
具現者(建国者) 檀君 高朱蒙 金首露
<許皇后 朴赫居世
<閼英夫人 初代神武天皇

これは天の権威が地上に根を下ろす過程を、婚姻という象徴的装置を通じて説明する古代国家の精巧なイデオロギー的装置である。したがってこれを特定宗教の教理(独生女論)に還元するのは範疇誤謬であり、神話の政治的機能を神学的表象に置き換えたイデオロギー的専有に近い。

■天孫降臨神話の逆説:「独生女」ではなく「独生子」に向けた摂理
しかし、ここで非常に興味深い点が発見される。『韓民族選民大叙事詩』が自分たちの主張を裏付ける為に持ち込んだこの天孫降臨神話の構造が、実は「独生女」教理を正当化するどころか、寧ろ正面から反駁する論理を内包しているという事実である。もしもこの神話を韓民族の未来を示す神の預言として解釈するなら、その預言の矢印は「独生女」ではなく「独生子」を指し示している。

この事実は、世界平和統一家庭連合の創始者である文鮮明総裁が教えてきた「救援摂理史の原理観」と天孫降臨神話の構造が驚くほどに正確に一致する点において、より明確になる。文総裁は「神の愛、生命、血統の種は男性であるアダムを通して垂直的に現れ、女性であるエバを通して水平的に地上に広がっていく」と教えた。また「神がアダムを創造して地上に降ろすのは100%神の責任であり、地上に降りたアダムが女性の中から一人を選んで妻として完成したエバに仕上げるのは100%アダムの責任である」と説明したことがある

この原理を檀君神話の構造にそのまま代入してみるとどうなるか見てみよう。
男性格天神の降臨(神の責任):天の神である桓因が息子である桓雄を地上に降ろす。これは「神がアダムを降臨させること」に相当する。
地上の選択(アダムの責任):地に降りた男性神である桓雄が地の女性である熊女を選んで妻とする。これは「アダムが地上の女性を選んでエバとする」ことと完全に一致する。
新たな血統の始まり:彼らの結合によって生まれた檀君が民族の新たな歴史を始める。

結局、檀君神話の物語は、天から来た神聖な男性が地上の女性を選んで新たな歴史を始めるという、文鮮明総裁が提示した「独生子」アダム中心の救援モデルと正確に同じ構造を持っている。その反面、この神話のどこにも天から直接降りて来る神聖な女性、即ち「独生女」が歴史の主体となる姿は見当たらない。寧ろ女性(熊女)は地上から選ばれて男性(桓雄)との結合を通して神聖な歴史の一部となる役割を担う。

したがって、天孫降臨神話を「独生女」降臨の預言だと解釈することは、神話の核心構造を完全に無視するか、意図的に誤読した結果に過ぎない。神話に込められた論理は寧ろ韓民族の歴史が「独生子」を迎える為の過程であったと証明しているのである。

■「韓民族セム族起源説」の批判:学問的証拠の無い主張
『韓民族選民大叙事詩』のもう一つの柱である「韓民族セム族起源説」は、さらに深刻な歴史的・科学的誤謬を内包している。この主張は、シュメール人をセム族と同一視し、彼らが東方に移住して韓民族となったという物語であり、韓民族を聖書の系譜の中に組み込もうとするものであるが、しかしこれは言語学、考古学、遺伝学、歴史文献学等のあらゆる学問分野の研究結果と真っ向から矛盾する。

第一に言語が全く異なる。民族のルーツを追跡する最も確実な方法の一つは言語を比較することであるが、言語学の観点からこの主張は成立し得ない。
シュメール語:人類初の文字を残したシュメール人の言語は、周辺のどの言語とも血縁関係が証明されていない「孤立語」であり、まるで父母や兄弟を知らない孤独な存在のような言語だ。
セム語:ヘブライ語やアラビア語の祖先であるセム族の言語は、単語の形が文法に従って変化する「屈折語」である。
韓国語:韓国語は語尾に「-은/는」(「は」に相当)や「-이/가」(「が」に相当)や「-을/를」(「を」に相当)などの助詞を付ける「膠着語」であり、やはり明らかな親族言語のない孤立語に分類される。

これら三つの言語は、例えば英語と中国語とハンガリー語が全く異なる言語体系に属するように、互いに何の血縁関係もない。書籍やUPF講義資料で主張する「シュメール」と「セム」の発音が似ているといった論理は、科学的根拠のない表面的な推測に過ぎない。

第二に考古学的・遺伝学的証拠がない。もしもメソポタミア(現在のイラク地域)から韓半島まで多くの人々が移住したのなら、その悠久な旅路の至る所に彼らが残した文化の痕跡(土器、道具、墓の様式など)と遺伝的証拠が残っていなければならないが、しかしそのような証拠は全く発見されていない。
考古学:韓国の新石器時代や青銅器時代の遺物は、メソポタミアではなくシベリアや満州など北方地域の文化との明確な関連性を示している。
遺伝学:現代韓国人のDNAを分析した科学研究の結果は、韓民族のルーツが古代北東アジアと中央アジアの複数の集団が長い年月をかけて混ざり合って形成されたことを明確に示している。中東から来た大規模な移民が韓民族のルーツとなったという遺伝学的証拠は存在しない。

第三に歴史記録を誤って解釈している。この主張は「東夷」という単語を誤解したことに起因する。「東夷」はセム族に由来する特定の民族名ではなく、古代中国の中原地域を占めた勢力が自らより東方に住む諸異民族を総称して呼んだ一種の別称であった。これは現代の我々がアジア東方に住む人々をひとまとめに「東洋人」と呼ぶのと似ている。したがって「東夷」をセム族の末裔である単一民族と見なすこと自体が歴史的事実と異なる。

結論として「韓民族セム族起源説」は、学術的証拠を無視したまま、聖書という特定宗教の記録を文字通りの歴史と見なして皮相的な類似性のみに依存する典型的な疑似歴史学の論理に従っている。これは歴史的真実を探究するというよりも、特定の神学的物語を裏付ける為に歴史を利用するのに近い

■歴史歪曲を超えた神話の正しい理解に向けて
これまで私たちは天の父母様聖会の『韓民族選民大叙事詩』が提示する二つの核心的主張を批判的に検討してきた。その結果、「独生女」降臨の預言として提示された檀君神話は、その構造から寧ろ「独生子」中心の父系的神話であることが明らかであり、これは文鮮明総裁の「救援摂理史の原理観」と一致するという逆説的な状況を示している。また、韓民族の起源をセム族とシュメール文明に結びつけようとする試みは、言語学、考古学、遺伝学などあらゆる分野の科学的証拠と正面から衝突する歴史歪曲であることが確認された

これらの主張は単に歴史的事実を歪曲しただけに止まらない。これは神話と歴史を特定教義の正当性を確保する為の道具に転落させ、韓民族共同体が共有すべき貴重な文化遺産を私有化する行為である。建国神話は古代国家が如何に自らのアイデンティティと権力の神聖性を物語として創り出したのかを示す「権力の叙事」である。それを21世紀の特定宗教指導者の降臨に備える為の秘密暗号と解釈することは、神話に対する深刻な無理解であり、我々全ての記憶に対する暴力行為とも言える。

私たちは神話を信仰の対象とすることはできるが、その信仰の為に歴史的事実と神話自体が持つ内的論理を歪曲してはならない。『韓民族選民大叙事詩』の叙事は、信念が客観的証拠を圧倒する時にどのような知的混乱が発生するのかを示す明白な事例である。「もはや統一教会でも家庭連合でもない」天の父母様聖会に名称変更(2020年4月4日)した独生女教に捕囚された祝福家庭は、自分たちが真理だと洗脳されている物語がどれほど虚構的な基盤の上に立っているのかを直視し、神話と歴史を学問的厳密さの中で正しく理解しようとする努力を始めるべきである。それこそが盲目的な信仰から抜け出し、真の知的・霊的自由へ向かう第一歩となるだろう。

参考文献
朴ボムソク「檀君神話象徴の宗教学的解釈」《先導文化》Vol.1、国際脳教育総合大学院大学・国学研究院
徐ヨンデ「檀君神話の史的理解」《韓神人文学研究》Vol.2、韓神大学校韓神人文学研究所
世界平和統一家庭連合『韓民族選民大叙事』天苑社2024
チョ・ヒョンソル『東アジアの建国神話の歴史と論理』文学と知性社2003
韓国学中央研究院《韓国民族文化大百科事典》 https://encykorea.aks.ac.kr/
韓民族選民大叙事詩 UPF講義案v7(241112)


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