本稿では『韓民族選民大叙事詩–独生女誕生の為に備えられた韓民族』(2024)が主張する清州韓氏箕子後裔説が歴史的事実と史料的根拠に基づいているか否かを具体的かつ批判的に検討する。独生女教(正式名称「天の父母様聖会」2020年4月4日)の韓鶴子総裁は、独生女メシヤ論を主張しながら、韓民族の五千年の歴史は自身を迎える為の準備の歴史であったとする主張を押し立てている。このような主張の中で、清州韓氏が箕子朝鮮の準王の子孫であり、韓民族の甲種族であるという説が登場する。本稿では、関連する歴史的史料と先行研究を綿密に検討し、その歴史的真実性を評価してみる。
結論から言うと、清州韓氏の箕子朝鮮由来説は朝鮮王朝光海君時代に作られた「虚構」である。清州韓氏の族譜には複数のバージョンがあり、高麗王朝の太祖王建を助け開国功臣となり姓を下賜されたという主張にも様々な異説がある。このような状況下において、清州韓氏が韓民族の甲種族であるという主張は、中国の古代史と春秋戦国時代の歴史を知る専門学者から見れば、歴史的事実を恣意的に解釈する曲学阿世に過ぎない。寧ろ漢の高祖劉邦を助け漢建国の功臣となった韓信大将軍や、戦国時代の韓の国出身の張良(張子房)が清州韓氏の祖先だと主張する方がより説得力があるだろう。
歴史的に春秋時代初期に韓氏部族は中国の中原地域に存在した。彼らは晋の国を構成する有力氏族集団であり、春秋時代末期には晋が趙・魏・韓の三国に分裂する際に韓の国として独立した。『楚漢志』に登場する韓信と張良こそがこの韓の国の遺民である。単に韓という姓や漢字が付くからといって、無条件に清州韓氏の祖先と結びつけるのは歴史に対する無知を露呈するものである。
まず、高麗時代までの史料においては「清州韓氏が箕子の子孫である」という如何なる記録も存在せず、寧ろ『高麗史』の列伝では清州韓氏の源流として箕子ではなく韓康(ハン・ガン)という人物を明示している。金ビョンインの研究(2019)によれば、高麗時代の『高麗史』に登場する韓氏は箕子と全く関係がなく、後世に政治的・社会的目的の為に箕子後裔説が創出されたと指摘している。
第二に、朝鮮王朝中期以降の特に壬辰倭乱(文禄の役)直後の光海君時代に、清州韓氏の箕子後裔説が本格的に登場した。金テユンの研究(2010)では、当時朝鮮で中華思想が高揚し箕子崇拝が拡散されるにつれて箕子を尊崇する政治的雰囲気と相まって一部の家門が箕子の後裔であることを自称し始めたと分析し、特に清州韓氏は鄭崑壽(チョン・ゴンス)や奇自獻(キ・ジャホン)といった人物たちが中国の史書である『魏略』と『魏志』を意図的に誤引用または歪曲し、箕子後裔説を族譜に反映させたものと解明している。
第三に、姜ミンシクの研究(2013)によれば、清州韓氏の族譜は17世紀初頭から箕子の子孫であるという内容を明記しているものの、実際の歴史的史料との比較検証では多くの矛盾点が発見される。17世紀初頭の『清州韓氏世譜』(1617年刊行)に初めて箕子後裔説が登場したが、これは歴史的事実とは無関係な創作された記録に過ぎなかった。さらに18世紀末以降の族譜では、箕子から黄帝軒轅(こうていけんえん)にまで系譜を人為的に拡張して中国の古代皇室にまで系譜を遡及するなど、歴史的根拠の無い虚構を創作した事例が現れている。
第四に、高麗時代の史料に登場する清州韓氏の実際の始祖は三韓功臣の韓蘭(ハン・ラン)と記録されており、これは高麗王朝末期の李穡(イ・セク)の墓誌銘において初めて登場する。しかし、清州韓氏の始祖である韓蘭は、高麗史の記録や当代の他の史料では見つけ難く、後代の族譜にのみ登場する点から、その歴史的信頼性は低いと評価される。したがって、清州韓氏が箕子を先祖としたのは、壬辰倭乱以降に血統的優越性や軍役免除などの政治的利益を得る為の戦略的選択であったと評価することが可能である。
第五に、箕子後裔説が拡散した政治的・社会的背景として、朝鮮王朝後期の中華思想がある。明朝滅亡後は中華の継承者としての正統性を強調しようとする政治的雰囲気が形成され、多くの士大夫たちが自らの家系を中国の箕子に結びつけようとしたが、清州韓氏もこうした傾向の中で箕子後裔説を積極的に受容した。しかし当時においても学者たちの間では箕子後裔説に対する懐疑と批判が存在し、その代表例として韓百謙(ハン・ベッキョム)のような学者は清州韓氏でありながら箕子後裔説について全く言及しなかった。この点から、箕子後裔説が当時においても歴史的信憑性がないと認識されていたことが分かる。
さらに『韓民族選民大叙事詩』に登場する檀君朝鮮、箕子朝鮮、衛満朝鮮に関する記述もまた、古朝鮮に対する理解の不足を露呈している。本書が示す「古朝鮮」に対する理解は、植民地史観と中華事大主義史観をそのまま反映しており、これは韓民族の正統な歴史観において排除されるべき視点である。一連の『三国遺事』に出てくる古朝鮮と檀君神話関連部分、司馬遷の『史記』に出てくる箕子関連部分だけでも正しく理解していたなら、古朝鮮と箕子の関係をこのように植民地史観や中華事大主義史観の観点から説明することはなかったであろう。
総合的に見ると、『韓民族選民大叙事詩』の清州韓氏箕子後裔説は、歴史的事実に基づいたものではなく、朝鮮中期以降の政治的・社会的必要性によって作られた虚構的な族譜記録である。これを歴史的事実のように活用して独生女メシヤ論の根拠とするのは深刻な歴史歪曲であり、学術的・歴史的な厳密性を欠いた主張と言わざるを得ない。
清州韓氏の箕子後裔説は歴史的根拠のない政治的・社会的目的に基づいて形成された一種の系譜神話であり、これを根拠に民族の選民性や独生女メシヤ論を主張することは明らかな歴史歪曲である。『韓民族選民大叙事詩』という本を堂々と高額な広告費を支払って宣伝する勇気はどこから出て来たのか、その度胸は高く評価するに値するとしても、このように新聞に大規模に広告を出すと、関連の学界や諸団体から疑似歴史学(pseudo-history)として厳重な理論的攻撃を受けることになるだろう。その時には天の父母様聖会教団が信者たちに洗脳する講義や集団催眠では通用しないだろう。したがって我々は歴史的事実に基づいた厳密な歴史認識と批判的態度を持つべきだという点を再度強調する。
参考文献:
姜ミンシク「清州韓氏の淵源と始祖伝承」『蔵書閣』第30集2013
金ビョンイン「清州韓氏『箕子後裔説』再検討」『韓国史学報』第74号2019
金テユン「朝鮮王朝後期の清州韓氏族譜から見た箕子と箕子朝鮮の認識」中央大学校修士学位論文2010
天務院『韓民族選民大叙事詩–独生女誕生の為に備えられた韓民族』天苑社2024
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