統一思想 第8章 歴史論4.歴史の変遷から抜粋
主体と主体は相克の法則に従って対立し、闘争するが、歴史上における主体と主体の相克とは、指導者と指導者の対立をいうのです。例えばフランス革命の際の中産市民層(ブルジョアジー)の指導者たちとルイ十六世を中心とした王党派貴族たち、すなわち新しい指導者たちと古い指導者たちの闘争がその例です。
両者は対立の法則に従って、相対的に善の側の立場(神様の摂理にかなう立場)と悪の側の立場(神様の摂理を妨害する立場)に分けられたのです。そして各々の主体が、対象であるところの大衆を互いに自分の方へ引きつけることによって(その時、大衆は二分される)、善の側の陣営と悪の側の陣営を形成して闘ったのです。指導者のうち、どちらが善でどちらが悪の立場であるかは、いかに神様の摂理に寄与しているかによって決定されます。大体において、古い社会の指導者は自己中心的に傾いて専制的支配をすることが多く、したがって神様の摂理を妨害する悪の方へ傾くようになったのです。その時、神様は摂理の進行に役に立つような新しい指導者を善の立場に立て、彼を通じて摂理されたのです。
善悪の闘争において、善の側が勝てば歴史の進む方向はより善の方向へ転換します。その後、歴史が一定の新しい段階に達すれば、それまでの指導者は悪の側に傾くようになります。そこにより善なる指導者が現れます。そして再び善悪の闘争が行われるのです。ここで善の側が勝てば、歴史の方向はさらに善なる方向に転換するのです。そして、ついには完全なる善の段階、すなわち創造理想世界が実現する段階に到達するようになるのです。そのとき、初めて善悪の闘争は終わりを告げるのです。そのように、闘争は決して発展をもたらすものではなく、ただ歴史発展の方向を転換させる役割を果たすだけなのです。
善の側の主体と悪の側の主体の闘争において、悪の側が強力である場合、神様は蕩減の法則を通じて悪の側を屈伏させたのでした。すなわち善の側の指導者をして悪の側の勢力の迫害や攻撃を受けながら、苦難と逆境の道を歩むようにせしめて、それを条件として悪の側の指導者を自然屈伏させたのです。万一、それでも悪の側の指導者が屈伏しない時は善の指導者の受難を条件として、すべての民衆を感化せしめて、悪の指導者を孤立させたのです。
【善側と悪側をどう見究めるのか】
→先に打った方が悪。15年間、UCが顯進様側を30回告訴。すべての訴訟で顯進様側が勝訴
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