韓国の主要ニュースメディア「アジアトゥデイ」が、現在大きな混乱に包まれている統一教(世界平和統一家庭連合)について、内部関係者を招いて特別インタビューを行いました。番組では、文顯進会長の陣営を代表する人物として、家庭平和協会の金慶孝(キム・ギョンホ)会長と趙仁範(チョ・インボム)副会長が出演しました。今回は、その第1部の内容を要約してお伝えします。


統一教分裂の深層 ― 内部関係者が語る「文鮮明死後の真相」

■ 統一教を襲う深刻な混乱

冒頭では、文鮮明総裁の死後、教団内部で指導権をめぐる争いが激化している現状が説明された。夫人の韓鶴子総裁は収監され、教団幹部や一部の子息たちは互いに対立している。単なる財産争いにとどまらず、統一教の正統性、指導権、さらには国際的影響力をめぐる複合的な対立に発展しているという。

韓国社会において、短期間で世界的宗教団体を築いた統一教がこのような混乱に陥っている現状は、番組側も「痛ましい現実」と表現した。

■ 三つに分裂した統一教

出演者の金会長は、文鮮明氏の死後に教団が大きく三派に分裂したと説明する。

韓鶴子総裁を中心とする「家庭連合」

七男・文亨進氏が率いる「世界平和統一聖殿(サンクチュアリ教会)」
家庭連合から分離したグループ。

文顯進会長を中心とする「家庭平和協会・グローバルピース財団」
文鮮明死後、独自の道を歩む国際的平和運動組織。

彼らによれば、問題の根本は「分裂そのもの」よりも「なぜ分裂が起こったのか」という点にある。

■ 「文鮮明の後継者」は誰か

文鮮明氏の晩年、後継者として正式に発表されたのは三男・文顯進氏だったと金会長と趙副会長は強調する。彼らの証言によれば、1998年7月に文鮮明氏が家族・幹部・外部要人の前で、文顯進氏を公式に後継者に指名したという。

この際、単なる家族的な後継ではなく、「文鮮明氏の霊的権威と指導権をすべて継承する者」として任命されたと述べた。この決定は、教団幹部や家族の誰もが知る公然の事実であり、数多くの発言・記録が残っているという。

実際、文鮮明氏の言葉をまとめた『文鮮明先生御言選集』(600巻以上)には、後継指名を裏付ける記録が明確に残されていると説明した。

■ 専門家による誤った情報への懸念

両氏はまた、YouTubeなどで「統一教専門家」と称する人物が根拠のない情報を発信していることに強い懸念を示した。内部事情を知らないまま誤解を広げ、世論を混乱させているとして、「正しい理解と解決策のために自ら声を上げる決意をした」と語った。

■ 長年の観察者としての証言

金会長は、自身と家族が40年以上にわたり統一教で牧師・宣教師として活動してきたこと、また文顯進氏の側近として約30年間仕えてきた経歴を明かした。その上で、「現在の混乱は偶発的な事件ではなく、文鮮明氏の晩年の方針をめぐる根本的対立の結果だ」と指摘している。

■ 合同結婚式と「祝福運動」

統一教会(正式名称:世界基督教統一神霊協会)といえば、「合同結婚式」で知られる。この「祝福運動」は、単なる宗教儀式ではなく、人種・国境・宗教の壁を越えた「神の下の一家族世界」の実現を象徴する活動だった。動画では、この「祝福運動」を推進する権限についても文鮮明総裁が「父子一体の理念」に基づいて文顕進氏(現・文顯進会長)に委ねたと語られている。

■ 文顕進氏の登場と世代交代

文鮮明総裁は、1998年に文顕進氏を正式な後継者として発表。同時に、組織全体と指導者層の世代交代を進め、48歳以下の指導者に対する人事権・指導権を文顕進氏に移譲した。文総裁は「文顕進の家庭を中心に皆が一つになれば、われわれの理想は必ず成し遂げられる」と語り、祝福の言葉を残している。

■ 「統一教」から「家庭連合」へ ― 文総裁の真意

統一教会は1954年に文鮮明総裁によって創設されたが、その正式名称「世界基督教統一神霊協会」が示すように、文総裁の本来の目的は一宗派を立ち上げることではなかった。当初の使命は「宗教や教派を超えて、真の平和世界を築く運動」であった。そのため、1993年には衝撃的な宣言を行う。「統一教の看板を下ろす」「教会時代を終え、宗教を超える時代に入る」と述べ、翌年には「世界平和統一家庭連合」を設立した。この決断は、宗教的枠組みを超えて「家庭」を中心に世界平和を築くという、新たな方向性を示すものだった。

■ 分裂の始まり ― 理念の違いと内部抵抗

しかし、文総裁の晩年、教団内では「教会としての枠を維持すべき」という旧勢力と、「宗教を超える運動を目指すべき」という改革派との間で深刻な対立が生じた文顕進氏は父の理念を正確に理解し、「宗教的な枠を超え、神を中心とした普遍的価値を掲げる世界運動」を推進しようとした。だが、既存の教会組織に根を張った指導層は、自らの地位と制度維持を優先し、改革に強く反発した。この衝突が、のちの分裂へとつながっていく。

■ 文顕進氏の姿勢と父への忠誠

文顕進氏は後継者としての立場を公に誇示することはなく、10年以上にわたり父を補佐しながら、運動の改革と近代化に尽力した。2008年には、文鮮明総裁に宛てて次のような手紙を送っている。

「神の下の一家族世界の夢を実現するためには、あらゆる宗教的障壁を取り除かねばなりません。私たち自身がまず、模範を示すべきです。統一教という組織に執着することは、理解できないことです。宗教の壁、特に私たち自身の壁を壊し、すべての宗教が協力し合って真の平和世界を築くべきです。」

この手紙に示されているように、文顕進氏は父の思想の核心である「超宗教的平和運動」を継承しようとしていた。それは「宗教を一つに統一する」という意味ではなく、「各宗教が共通の価値を共有し、協力して平和を築く」という理念だった。

■ 文鮮明総裁の夢 ― 「神の下の一家族世界」

文総裁は、第二次世界大戦後の新しい文明時代を見据え、アメリカを中心としたキリスト教文化圏の限界を超え、人類全体が一つの家族として生きる世界を夢見た。そのために「教会」という枠を超え、「家庭」と「愛」を中心とした人類統一運動を展開した。彼の願いは、「宗教の垣根を越え、すべての民族と国家が神のもとに一つとなる」ことだった。

■ アメリカと「普遍的価値」への発展

アメリカ建国は、キリスト教精神を基盤にしながらも「信仰の自由」を重視した国づくりから始まった。宗教的な正しさよりも、普遍的価値を包み込む精神が国の理念となり、その価値観が世界平和と人類の調和の基盤になった。この流れの中で、文鮮明総裁が提唱した「One Family Under God(神の下の一家族)」という思想は、宗教統一ではなく、宗教の壁を超えた人類の一致を意味している。

■ 文顯進氏の書簡とその意図

文顯進氏は父である文鮮明総裁に、英語で長文の書簡を送り、自身の理解する「父の夢と使命」について明確に述べた。この手紙には、父の理想をどのように継承し、実現していくかという計画が具体的に書かれていたため、文総裁は非常に喜び、各指導者にも共有するよう指示したとされる。しかしその後、周囲の人物(韓鶴子女史や側近ら)によって情報が封鎖され、書簡の内容は次第に歪められて伝えられるようになる。結果として、「文顯進氏が父に反抗した」「信仰を否定した」との誤ったイメージが広まった

■ 文顯進氏の父観と神観

文顯進氏にとって、文鮮明総裁は「神ではなく、人間としての限界を持つメシア」であった。総裁自身も「神格化された存在ではなく、神の理想を人間として実現する者」と語っていたという。そのため顯進氏は父を尊敬しつつも、神の意志を中心に据えた冷静な視点を保ち、対話を通じて誤解を解こうと試みたが、周囲の抵抗によりそれは阻まれた。

■ 後継者としての立場と理念

1998年に後継者に指名された文顯進氏は、権力や名誉には執着せず、「父の夢をどう実現するか」だけに集中した。19歳からの講演や発言を通しても、「自分が後継者だ」とは一度も主張せず、むしろ「全員が神の理想を実現する主体(主人)になるべきだ」と呼びかけてきた。彼の主張は一貫しており、2009年以降の分裂後も16年間変わっていない。文顯進氏にとっての後継とは、地位の継承ではなく、「神と父の理想を地上に実現する責任の継承」であった

■ 教団内の対立と構造

2009年以降、教会の指導部は文顯進氏を排除し、韓鶴子氏や他の兄弟を中心に権限を再編。この時期から、文顯進氏に対する訴訟や誤情報の流布が進み、教団は大きく分裂することになる。


動画は以下より視聴できます。

 

カテゴリー: 真実

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