1. 序文
2012 年の文鮮明総裁の聖和以降、統一運動は教理的分裂に直面した。この変化の中心には韓鶴子総裁が主張する「独生女論」がある。独生女論は単なる教理的継承や解釈の次元を超え、「天の父母様聖会」という新たな宗教的実体の出現を告げるものと言える。韓鶴子総裁と当時の韓国統一教会長の李基誠は2020年4月4日に公文において「もはや統一教会ではなく家庭連合でもない天の父母様教団(Heavenly Parents Church)に名称を変更する」と公式発表した。これは伝統的な統一教会の神学的中心軸を根本的に再構築し、文総裁の教えとは区別される新たな信仰体系を構築する過程である。
本稿は、独生女論が文総裁の本来の教えからの根本的な断絶を意味し、このような教理的分裂を正当化する為に二つの核心戦略を使用していると主張する。第一に、独生女論は韓民族固有の神話であるマゴハルミやソルムンデハルマン、バリ王女といった説話を目的論的に再解釈・誤用し、男性メシヤではない女性救援者を中心とした新たな選民思想の叙事を構築する。第二に、統一教会内部の神学的空白を埋める為に世俗の急進主義フェミニズムとクィア・フェミニズムのイデオロギーを積極的に受容し、文総裁の教えの核心であるアダムを中心とした愛・生命・血統の諸原理を否定し解体する。
したがって、本稿は二部構成となる。まず神話学的批判を通じて独生女論が韓国古代女神神話の原型的意味をどのように歪曲し、自分たちの教理的正当性を確保しようとしているのかを分析する。続いて、神学的・理念的分析を通じて独生女論の核心教理がどのように急進主義フェミニズムの論理と共鳴し、その結果として文総裁の核心的教えである『原理講論』と正面から衝突することになるのかを論証する。本稿は文献資料に基づいて原典神話と新たな解釈、そして文総裁の教えと独生女論との明確な対照分析を通じて統一教会神学の変容の本質を究明しようとするものである。
2.韓国の創世女神神話の誤用と選民思想の再構築
独生女論が韓民族の古代神話に注目するのは、伝統との真正な交感を試みる為ではなく、現代に構成された特定の神学的目的の為に古代の叙事を戦略的に切り取って活用しようとする試みとしてである。これは神話の原型的意味を解体し、それを新たな教理の正当性を裏付ける道具に転落させる過程と言える。
マゴハルミ、ソルムンデハルマン、バリ王女神話の原型的意味
独生女論の神話解釈を批判するに先立ち、これらの神話が持つ本来の意味を神話学的・文化人類学的観点から明確にする必要がある。マゴハルミとソルムンデハルマンは、韓半島と済州島に各々伝承される太古の巨人創造女神(創造神、巨人神)である。彼女たちは混沌の中から世界を創り、地形を形成する宇宙生成論的(cosmogonic)叙事の主人公である。マゴハルミは素手で山と川を作り、ソルムンデハルマンは裾で土を運び漢拏山と済州島の無数のオルム(火山丘)を作ったと伝えられる。彼女たちの叙事は、強力で自律的な女性的原理が世界創造の原動力であることを示す原型的神話であり、中国の盤古神話のような東アジア創世神話の脈絡の中で比較研究の対象となる。その核心は、彼女たちが世界の「起源」そのものであって、未来の特定人物の為の備えであったり、その道を整えたりする補助的存在ではないという点である。
バリ王女神話は、韓国の巫俗信仰の起源を説明する巫祖神叙事である。七番目の娘として生まれ捨てられたが、死の病に罹った父母を救う為に冥界へ赴き生命水を探し求めて来る彼女の英雄的旅程は、生者と死者の世界をつなぐシャーマン(shaman)、即ち巫女の原型を提示する。彼女の物語は、死者の魂を慰め冥界へ導く「ジノギグッ」(※死者の魂を極楽に送る為に死後49日以内に行う巫俗儀式)のような巫俗儀式で詠唱される叙事巫歌の根幹を成す。バリ王女の神聖な力は他者によって備えられたものではなく、自らの苦難と犠牲を通じて獲得したものである。
これらの女神神話の共通点は、まさに「女性神性の自律性」にある。マゴハルミは自ら世界を創造し、ソルムンデハルマンは済州島を形作り、バリ王女は自らの意志で苦行を甘受して霊的な指導者即ち巫俗の始祖となる。原型神話の中で彼女たちは、男性神の妻や娘あるいは伝令としてではなく、独立した完全な主体として存在する。これは儒教的家父長制が確立される以前に、韓民族の精神世界に強力な女性中心的あるいは女性自律的な信仰の原型が存在したことを示唆する。このような原型的意味を理解することは、独生女論の解釈が原典の文脈からどれほど逸脱しているかを把握する重要な基準となる。
『韓民族選民大叙事詩』の神話解釈批判
独生女教の『韓民族選民大叙事詩』と関連諸文献は、こうした神話の原型的意味を解体して新たな神学的叙事を注入するが、それらの解釈は以下の論理的過程を通じて神話を教理の道具に変質させる。
第一に、これらの文献は男性中心の檀君神話が「父なる神」を象徴するとすれば、マゴハルミやバリ王女のような女性神話はそれに相応する「母なる神」の存在を明らかにする役割を果たすと主張する。これは本来各自が異なる起源と機能を持つ神話を「父母」という二元論的な枠の中に強制的に組み込もうとする試みである。
第二に、このような主張を裏付ける為に恣意的な語源解釈を動員する。代表例として「ハルミ」という単語を「大きい」という意味の純韓国固有語の「ハン(韓)」と「生命の根源」を意味する「オモニ」の合成語として解釈する。これにより創造女神であるマゴハルミとソルムンデハルマンを「偉大な母」、即ち「天の母」の地上顕現に直接連結させる。これは言語学的根拠が希薄な解釈を通じて神話の名称そのものを自らの教義に符合するように変形させるものである。
第三に、最も決定的にこれらの神話の存在目的そのものを再規定する。これらの文献は、檀君神話と女性神話が共存してきた理由が「神が父母としての地位を確立できる基台を形成する為」であったと結論づける。つまり、数千年にわたって形成された多様な神話が唯一つの目的、即ち未来に来臨する『独生女』を迎える為に韓民族を精神的に準備させる過程であったと主張するのである。このような解釈は神話に対する典型的な目的論的誤用である。神話自体の内在的意味を探究する注釈的アプローチではなく、既に完成された「独生女降臨」という神学的結論を神話の中に逆投影する目的論的解釈である。この過程でマゴハルミとソルムンデハルマンは宇宙的創造主としての地位を剥奪され、バリ王女は独自的な英雄であり巫祖神としての意味を失ったまま、いずれも韓鶴子という特定人物を予表する象徴的道具に転落させられる。
結論として、独生女論が民族神話を動員するのは、自分たちの教理が文鮮明総裁の原典である『原理講論』においては正当性を確保するのが難しいという事実を逆説的に露呈している。内部の経典で説明できない教理的断絶を、外部の権威即ち民族の神話に頼って埋めようとする試みだからである。これは特定宗派の教理を民族全体の霊的運命と同一視しようとする神学的専有(appropriation)行為であり、神話の本質を深刻に歪曲するものである。
3.父系と母系の血統を混用する独生女論の誤謬
『韓民族選民大叙事詩』の独生女神格化の論理構成における最大の誤謬の一つは、独生女である韓鶴子総裁の血統の起源を父系である清州韓氏に置いている点である。天孫思想を内包する檀君神話において父系の家父長制は克服すべきだと主張しながら、肝心の独生女の血縁の系統は韓鶴子総裁が自身の父親だと主張する韓承運先生の家系族譜に置いている。
当初からこのように清州韓氏の父系系統との関連性を主張していたわけではない。『真のお母様の生涯路程』(2012)と『平和の母』(2020)では、外祖母の趙元模(チョ・ウォンモ)と母の洪順愛(ホン・スネ)の家系説話といった母系中心に韓鶴子独生女の系統を説明することもあった。特に外祖父家の「ダルレ江伝説」を通じて「王女を送る」という啓示を受けた点を主張しながら母系血統の重要性を説明していた。『韓民族選民大叙事詩』に至って突如として母系起源説をそっと降ろして父系起源説を推し立てているという矛盾を犯しているのだ。
後に出された『韓民族選民大叙事詩』のような文献では、父系である「清州韓氏」の悠久な歴史と忠節を強調しながら父系血統の正統性を主張する姿勢を見せている。『平和の母』においても「清州韓氏の始祖は高麗王朝の開国功臣」とし「彼から 33 代を経て私が生まれました」と記述し、父系血統を重視している。これは二つの矛盾を生む。第一に、男性中心の父権論的歴史を批判しながらも肝心の独生女の血統的正当性を父系族譜に探し求める点である。第二に、初期の文献で強調されていた母系中心の摂理史的説明から父系中心に強調点が移動あるいは混在することによって、血統系譜説明に対する一貫性を喪失しているという批判を免れ難い。
フェミニズム理論の影響批判
急進主義フェミニズムと、男女のアイデンティティを否定し「性的嗜好」または「性的指向性」により無数の「性アイデンティティ」が存在すると主張するクィア・フェミニズムに汚染された独生女論もまた批判の対象である。これらのフェミニズムは、韓総裁の自叙伝『平和の母』や、最近出版された『独生女論』、そしてこの本の題目を変えて再出版された『真の父母論』にも浸透している。『韓民族選民大叙事詩』では、マゴハルミ、ソンムデハルマン、バリ王女の説話を契機として、フェミニズムとの連結を試みている。フェミニズムの中でも男性と女性の性アイデンティティを解体する代表的な理論であるマルクス主義、急進主義(ジェンダー主義)、クィア(ポスト構造主義)の三大フェミニズムは、人類の起源が洞窟における母権制に起源を置いていると主張する。フロイトの「原父殺害神話」、ルイス・モーガンの『古代社会』(1877 年)とマルクス・エンゲルスの『家族、私有財産、国家の起源』(1884 年)における家族起源神話は、いずれも同様に原始の洞窟における母権制を前提として論理を展開していく。
最近の独生女論関連文献は人類歴史を男性中心の歴史と規定し、これを克服する女性中心の新たな時代を強調する。これは 19 世紀のヨハン・バッハオーフェンの『母権論』(1861)に端を発し、エンゲルスやフロイトらに連なる初期人類史における「母権制」仮説と類似の脈絡を示す。これらの仮説は初期の人類社会が女性を中心とした母系社会であったと主張するが、現代の文化人類学、神話学、考古学では、もはやフロイトやマルクス・エンゲルスが信じた「母権論」を定説として支持していない。母権論の元祖はヨハン・バッハオーフェンの『母権論』であるが、彼が論拠として提示した資料の大部分はギリシャ・ローマの原始神話と中近東地域の神話であった。しかし古代から現代に至るまでの大部分の神話においては男性格の神々が主導する『父権論』が支配的である。独生女論が学術的に克服された特定のイデオロギーを神学的論理の前提としているという批判は免れ難い。
神話的根拠の批判
ミルチャ・エリアーデの『宗教形態論』(1958)によれば、地母神・大母地神と女性格の神々の神話と伝説は地上の豊穣を祈る信仰から誕生したものである。『韓民族選民大叙事詩』において独生女待望論の根拠として提示されているマゴハルミ、ソンムンデハルマン、バリ公主の説話は、韓国版「母権論」と言える。しかしこの神話は、ストーリーテリングの範疇において巫俗説話や巫歌などに分類される。文字がなく口承で伝承された上古時代、万物が言葉を話し祖先として崇拝されていたトーテミズムとアニミズムが溢れていた時代、救援摂理において万物より低い霊的水準にいたために万物を通じて救援の道を探してきた時代に、事物と現象の起源を説明する「起源説話」の大部分は、このような上古時代のシャーマンの巫歌の形態を帯びるようになる。このような類型の説話と伝説は、この地球上、特に東アジア地域には数え切れないほど多い。
独生女論の神話的根拠として提示される韓国のマゴハルミ、ソンムンデハルマン、バリ王女の説話などは、本質的に特定地域の巫俗神話または起源説話の範疇に属する。これらの説話が、人類普遍の救援摂理を説明する神学的教理の絶対的根拠となるには、その基盤が脆弱である。特定民族の説話を普遍的真理に格上げすることは、神話の誤用であり論理的飛躍であるという批判が提起されかねない。
神学的衝突と矛盾
『韓民族選民大叙事詩』、『平和の母』、『独生女論』には、こうしたフェミニズムの理論的要素と諸装置が浸透している。文鮮明総裁が成約時代(1993 年 1 月)と家庭連合時代(1994 年 5 月)を宣言しながら発表した『宇宙の根本を探し求めて』、『救援摂理史の原理観』、そして『創造原理』の核心概念である「二性性相」をはじめとする神観、人間観、宇宙観、摂理歴史観を韓鶴子総裁の独生女論は全て否定し破壊している。
統一教会の教理の核心神観は、神の「二性性相」即ち男性性と女性性の調和的な統一体としての神的な本質である。ところが独生女論は、歴史的に抑圧された「天の母」の位相を復権し、「母を中心に置いた摂理」を強調することによって、既存の二性性相論の均衡を崩して女性性中心の神観に傾く傾向を示す。これは神の本質に関する既存の核心教理を修正または否定する結果を招き、文鮮明総裁が確立した神学体系との整合性に深刻な問題を引き起こす。結局これは神観、人間観、宇宙観、摂理歴史観全般にわたる既存教理の根幹を揺るがすものである。
4.独生女論に現れた急進主義及びクィア・フェミニズムと原理の歪曲
独生女論の教理的内容は、統一教会内部の自生的発展の産物ではなく、世俗の急進主義及びクィア・フェミニズムの核心論理を受け入れ、文鮮明総裁の教えに正面から反駁する構造を帯びている。これは教理の再解釈を超えた根本的な代替に該当する。
独生女論の核心教理:文鮮明総裁有原罪論と独生女無原罪論
独生女論の最も急進的な主張は、文鮮明総裁と韓鶴子総裁の霊的位相を転覆させている点にある。韓鶴子総裁の説教及び関連神学文献によれば、新教理の核心は次のとおりである。
第一に文総裁の位相の格下げである。真の父・文鮮明総裁は「堕落した(立場から)脱却できない立場で誕生」し「原罪を持って生まれた」と主張する。彼は 16 歳でイエスから使命を引き継ぐことによって初めて「独生子」の「資格」を得たに過ぎず、本質的には原罪を持つ存在だということである。
第二に韓鶴子総裁の位相の格上げである。韓鶴子総裁は「6 千年ぶりに誕生した初臨独生女」として、「母胎から」血統復帰を成し遂げ「原罪が無く」生まれた完全な存在と規定される。
第三に救援摂理の逆転である。このような前提は救援摂理の主体を完全に逆転させる。原罪を帯びた文鮮明総裁は原罪の無い独生女と出会い「原罪を清算」されなければならず、彼の使命は彼女を探し出すことに縮小される。反対に独生女は文鮮明総裁を「選択」し「完成」させる救援の主体として格上げされる。
このような主張は、文鮮明総裁が自らを原罪の無い神の直系血統と規定していた『原理講論』の核心内容と正面から矛盾し、新たな教理の登場を明らかに示している。
家父長制批判と男性中心神学の解体
独生女論のこのような教理的転覆は偶然ではなく、統一教会内の一部の自称神学者たちが受け入れた急進主義フェミニズムの論理的帰結である。急進主義フェミニズムは、社会のあらゆる抑圧構造の根源を、男性階級が女性階級を支配する政治的「家父長制(patriarchy)」として規定する。特にメアリー・デイリー(Mary Daly)のようなフェミニスト神学者たちは、家父長制の究極的な根源が「父なる神(God the Father)」という男性的な神観念にあると批判した。
統一教会内の神学者たちはこの批判の枠組みをそのまま受け入れ、文鮮明総裁の神学を解体し始めた。金恒濟(キム・ハンジェ)は初期に、神を男性格のみと規定することが「家父長的秩序」を生み出し、これは「正しい神理解の障害となる」と主張しながら批判の口火を切った。文善英(ムン・ソニョン)はさらに一歩進み、〈統一教会の原理講論に現れた女性〉などの論文において、フェミニズムの視点から、男女関係が固定された主体・対象の位階ではなく「相互主体性の関係」だと再解釈し、文鮮明総裁のアダム中心モデルを直接的に批判した。文誉進は〈両性平等回復の必要性〉において文鮮明総裁の神学を「家父長的儒教教理」と規定し、「天の母の実体である真の母」を中心とした新たな摂理を主張しながら論争に決定的な一撃を加えた。
こうした一連の過程は明確な因果関係を示している。世俗の急進主義フェミニズムが家父長制を批判し、その根源を男性神に探し出すや、統一教会内の神学者たちがこの論理を借用し、文鮮明総裁の「父なる神」「男性メシヤ」「アダム・エバの位階」を家父長的構造と規定して解体の対象としたのである。韓鶴子総裁の独生女論は正にこの批判を教理的に具現化した結果物である。「父なる神」は「天の父母様」に、「原罪の無い男性メシヤ」は「原罪を帯びたまま原罪の無い女性メシヤによって救援される存在」に、男性主体・女性対象の位階は完全に転覆された。即ち独生女論は、フェミニズムの「影響」を受けたものではなく、急進的フェミニズムの批判を『原理講論』に適用した際に現れる必然的な神学的帰結なのである。
性別二元論の否定とクィア・フェミニズムの影響
独生女論の理念的借用は、急進主義フェミニズムを超え、ジェンダー二元論自体を解体しようとするクィア・フェミニズムの領域にまで進む。『独生女神学研究』などの核心文献は、新しい時代には「男性らしさと女性らしさの認識」自体が「廃止されなければならない」と主張しながら「男性・女性の二元論」を克服すべき位階的構造として批判する。
これはジュディス・バトラー(Judith Butler)のようなクィア理論家の主張と脈を同じくする。バトラーは「二項対立的ジェンダー」が生物学的本質ではなく、社会的規範を繰り返し遂行することによって構成される「遂行性(performativity)」の結果であると見た。このような観点は、男性と女性という安定した二分法的範疇と創造原理の二性性相自体を解体しようとする試みに繋がる。
独生女論がこの論理を受け入れる瞬間、致命的な内部矛盾に陥る。文鮮明総裁の神学体系である『原理講論』は、男性性と女性性の形而上学的二元論、即ち「二性性相」に基づいている。この宇宙的陰陽の原理が創造の原動力であり理想家庭の根幹である。独生女論は、一方では「母」という極めて性別化された概念を神格化して教理の中心としながらも、他方ではその「母」という概念を可能にする男性性と女性性という範疇自体を廃止すべきだと主張する。これは文鮮明総裁の家父長的枠組みを解体する為に借用したクィア・フェミニズムの論理が、逆に独生女論自体の神学的基盤までも崩壊させる自己矛盾的な結果を招来するものである。これは独生女論が互いに両立し得ない異質な諸理念を無理に接合した、論理的に不安定な神学的構成物であることを証明している。
文鮮明総裁の教えとの衝突:教理的歪曲の証拠
独生女論が文総裁の教えをどのように変質させたかを明確に示す為に、核心教理を比較してみると以下のようになる。この表は二つの神学体系間の断絶が解釈の相違ではなく、根本的な教理の代替であることを明確に表している。
区分 | 統一原理 | 独生女論 | |||
韓鶴子 | 金振春 | ||||
創造主の名称
(被造世界に対する存在様相) |
神: ニ性性相の中和的主体男性格主体、一元論 | 天の父母様:父なる神(主体)、母なる神(主体)、二元論 | |||
アダム家庭 |
アダム・エバ創造順序 | アダム(主体)創造後にエバ(対象)創造 | 神がアダム(男、主体)とエバ(女、主体)を同時に創造 | ||
アダムの血統 | 無原罪出生 | 無原罪出生 | |||
エバの血統 | 無原罪出生 | 無原罪出生 | |||
アダムとエバの堕落の順序と動機 |
・エバ堕落→
アダム堕落(独生子・独生女資格喪失) ・アダムが堕落しなかったら復帰は容易 ・アダム(独生子)を探し立てる摂理の開始 |
アダム・エバ堕落→ 独生子・独生女の資格喪失 |
・アダム・エバの堕落、 独生子・独生女の資格喪失
・アダム(独生子)とエバ(独生女)を探す摂理の開始 |
||
イエス家庭 |
イエス |
父母の血統 | 有原罪出生、堕落の血統 | 有原罪出生、堕落の血統 | |
血統 | 無原罪出生 | 腹中血統復帰、無原罪出生 | |||
血統復帰の責任 |
・神
・イエス復帰→イエスの妻復帰 (アダム創造→エバ創造と同一原則) |
天の父母様 イエスとイエスの妻の血統復帰を同時に成就 |
|||
血統復帰の方法 | ・腹中血統復帰
・神の息子の種(精子) |
・腹中血統復帰
・神の息子の種 言及無し |
・腹中血統復帰
・神の息子の種 |
||
最初の使命 | ・エバ復帰(エバの創造、小羊の婚宴) | 小羊の婚宴(準備されたエバに出会って結婚) | |||
イエスの妻候補者 /ザカリヤの娘 |
父母の血統 | 有原罪出生の堕落の血統 | 有原罪出生の堕落の血統 | ||
資格 |
ザカリヤの娘またはザカリヤ家庭の中の一女性
(特定の人を予定せず) |
ザカリヤの娘(韓鶴子?);特定の人を予定初期の説教と後期の説教の内容が異なる | |||
血統 |
有原罪出生 |
無原罪出生予定 → 有原罪出生
(腹中復帰過程が無くて有原罪出生) |
・無原罪出生予定(腹中血統復帰必然) → 有原罪出生
・独生女の資格:腹中血統復帰 ・3代の腹中復帰過程が無 く、無原罪出生の独生女候補者がいなかった |
||
腹中血統復帰不必要 | 腹中血統復帰必然 (詳細な言及無し) | ||||
血統復帰の方法 |
イエスが女性の血統を復帰 |
イエスに依る血統復帰は不必要 | |||
血統復帰の責任 | イエス | ・神
・マリヤ/ザカリヤの責任失敗→腹中血統復帰失敗 |
|||
聖婚失敗の理由 |
・マリヤとザカリヤ家中の無関心、責任失敗(独生女候補者に出会える機会を喪失) ・神の摂理と無関係 ・復帰摂理延長の理由 |
・イエスが独生女を探し立てられず(いたが探し立てられなかったのか、いなくて見つからなかったのか、不確実)
・理由: 腹中復帰され無原罪で出生した女性がいなくて (マリヤとザカリヤ家庭の責任失敗) ・矛盾:マリヤとザカリヤの責任完遂と独生女候補者の無原罪出生は無関係 → イエスの聖婚失敗は必然、真の父母、真の家庭を通した復帰摂理の失敗は必然? |
|||
父母の血統 | 有原罪出生の堕落の血統 | 有原罪出生の堕落の血統 |
文鮮明総裁の家庭 |
文鮮明総裁 |
血統 |
・無原罪出生 ・イエスの血統より優秀な血統 |
・有原罪出生
・独生子として出生せず(独生子ではなく、独生子の立場、独生子の責任者) |
・有原罪出生 ・腹中血統復帰を経ていない =独生子ではない |
血統復帰の方法 |
・神の息子の種を通して復帰 ・3代の腹中血統復帰が不必要 |
・韓鶴子に出会って原罪清算
・韓鶴子が結婚してやることによって文鮮明総裁の血統が復帰 |
‧誰かによって血統転換される運命 |
||
血統復帰の責任 |
・メシヤを送るのは神の責任
・神が文鮮明総裁の血統復帰に責任 ・神がアダムを創造、完成したアダムが堕落した女性の中から選んでエバとして完成 |
・独生女と聖婚後に完成(血統転換の意味を包含) |
|||
独生子(メシヤ)の資格 |
・生まれつき無原罪のメシヤ |
・16歳で独生子資格を取得(無原罪の独生子ではない)
・16歳で血統転換の立場、腹中血統転換無し →独生子に成り得ない |
|||
崔先吉 |
父母の血統 | 有原罪出生の堕落の血統 |
・文鮮明総裁が韓鶴子に出会う前に結婚してはならなかったと主張=文鮮明総裁の尻尾 |
||
血統 | 有原罪出生の堕落の血統 | ||||
聖婚の価値 |
・エバ使命者
・霊界の指示で崔先吉女史と聖婚 ・第1次独生女、真の母候補者 |
||||
責任分担の失敗 | ・メシヤの公生涯を理解できず離婚を要求 | ||||
金明熙 |
父母の血統 | 有原罪出生の堕落の血統 | |||
血統 | 有原罪出生の堕落の血統 | ||||
聖婚予定 | ・マリヤ使命者
・第2次独生女、真の母候補者 |
||||
責任分担の失敗 | ・エバを再び探し立てる第2次家庭摂理
・責任分担の失敗 |
||||
韓鶴子 |
父母の血統 |
・堕落した血統
・母:洪順愛、父:韓承運 ・洪順愛は韓承運と婚礼せずに韓鶴子を出産 ・洪順愛は鄭錫天を夫と認識 |
・言及無し |
||
血統 |
・堕落した血統 ・母系3代の精誠による善なる血統 ・複数の母候補者中の一人 |
・無原罪、 3代が独り娘で 腹中血統復帰=独生女 |
・無原罪、3代が独り娘で腹中血統復帰
(『真の父母経』 独生女の説教が根拠) ‧『み言葉選集』の中には 韓鶴子の無原罪出生に関する言及無し |
||
血統復帰の責任 |
・文鮮明総裁が韓鶴子を選択し、教育して育てなければならない。
・文鮮明総裁が韓鶴子の血統を復帰 ・文鮮明総裁が韓鶴子を祝福(血統復帰)してあげた。 ・独生子が独生女を再創造する。 ・真の男性が真の女性を創る。 ・再臨主は相対を再創造する。再創造は再臨主に絶対服従する。 |
・「独生女を教育した人はいない。」 |
・文鮮明総裁が独生女の血統を復帰したのではない。 ・母子協助で腹中血統復帰 |
聖婚と責任 |
・第3次独生女、真の母使命者の崔先吉と金明熙の使命失敗で韓鶴子が独生女候補者となる
・オモニは「アボジは私がいなければ完成できない」とは考えてはならない ・オモニを崇拝することは原理からの逸脱だ。 ・再臨主ができる仕事をオモニができない。 ・オモニの責任が3%残っていた。 ・オモニがアボジよりも優れていると考えることは天に対する反逆だ。 |
・独生女は6千年ぶりに誕生した初臨 ・韓鶴子は神が準備した予定された独生女 ・独生女誕生がなければメシヤが来ることができない。 ・独生女に出会えなければ独生子ではない。 ・再臨メシヤが独生女を誕生させたのではない。 ・独生女を否定すれば救援が無い。 ・メシヤ候補者は多くいた。 ・救援を与える者は独生女 |
||
独生女の使命失敗の場合 |
・オモニを取り替えることもできる。
・オモニを再び創造して作らなければならない。 ・神の精子が定着することができなかった。オモニの代わりの候補者を立てて訓練させることもできる。 ・オモニと再び結婚準備しなければならない。愛することができない。 ・オモニはアボジと異なる道を行った。 |
言及無し |
||
基元節宣布の主人公 |
・基元節は文鮮明総裁無しには執典ができない。 ・基元節の堕落の血統の復帰はオモニではなくてアボジが行う。 ・基元節に真の父母の名前も無くなる。父母様で充分だ。 ・第4次アダム圏時代は宗教や教主に侍る時代ではない。 |
・独生女が基元節を宣布
・独生女が基元節を宣布しなければならないので耐えて来たのであり、アボジが基元節の6ヵ月前に聖和するのは必然 ・アボジの時代は蕩減復帰時代、基元節の天一国時代の中心は独生女 ・み言葉選集再編作業 ・原理講論の再臨論を真の父母論に修正 ・女性を無視してアボジの摂理が失敗 |
||
摂理の認識 | ・復帰摂理は息子を探し立てる歴史だ。 | ・基督教摂理2千年は独生女を探し立てる歴史だ。 | ||
独生子・独生女の意味 |
・独生子:個性を完成した男性を代表
・独生女:個性を完成した女性を代表 ・万人が独生子・独生女 |
・独生子:アダム➨イエスが唯一
・独生女:エバ➨韓鶴子が唯一 |
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独生子・独生女を通した神の位相 | ‧家庭完成 | ‧天の父母様聖会完成
‧独生女崇拝 |
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経典 | <八大教材教本> | <天一国三大教典> | ||
結論 | 独生女論の核心である文鮮明総裁の有原罪堕落血統出生と韓鶴子の無原罪純血出生は、文鮮明総裁のみ言葉と統一原理と完全に衝突する。結局、天の父母様聖会は統一運動とは別個の宗教である。 |
5.結語
本研究の分析の結果、韓鶴子総裁が主導する独生女論は統一教会の正統的な原理の継承ではなく、根本的な教理的断絶と新たな宗教運動の創始を意味するものとして帰結される。独生女論は二つの主要な戦略によってこういった断絶を正当化して新たなアイデンティティを構築した。
第一に、韓民族の古代女神の諸神話を本来の脈絡から奪い取り、これらを「独生女」の降臨を準備する為の歴史的過程として再解釈した。これは自律的な創造主であったマゴハルミのような神々を特定人物の前兆として格下げする神話の道具化であった。
第二に、教義の核心内容においては世俗の急進主義及びクィア・フェミニズムのイデオロギーを積極的に受容した。これにより文鮮明総裁が根本原理として宣布した一元論の父なる神観、男性メシヤ中心の救援論、そして二性性相という形而上学的原理を体系的に解体し、その位置を女性メシヤ中心の新たな教理で代替した。
結論として、積み上げられた様々な証拠から、独生女論と文鮮明総裁の『原理講論』の間に存在するギャップは解釈の差異を超えた「代替」のレベルであることが明確に示される。神の概念から救援の方式、ジェンダーに対する理解に至るまで、神学の根本構造が完全に変更された。したがって韓鶴子総裁の「天の父母様聖会」は、文鮮明総裁が設立した統一教会(世界平和統一家庭連合)の連続体ではなく、そこから分離された別個の新たな宗教運動として規定するのが妥当である。さらには、独生女論が互いに両立し難い「母」という性別化された概念と、ジェンダー二元論を否定するクィア・フェミニズムの論理を同時に受容している点は、この新たな神学体系が内包した深刻な論理的不安定性を示唆する。これは今後さらに多くの教理的修正や内部的分裂に繋がる可能性を内包している。
参考文献
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韓国民族文化大百科事典「バリ王女」http://encykorea.aks.ac.kr/Article/E0020479
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